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大阪家庭裁判所 昭和45年(家)9624号 審判

〔主文〕事件本人喜芳の監護者を相手方と定める。

〔理由〕本件申立理由の要旨

申立人は、昭和三七年五月相手方と知り合い、同年一〇月頃から同棲しその間事件本人喜芳をもうけた。ところで相手方は、正妻と離婚し申立人および喜芳を入籍すると約束したので、申立人は喜芳を養育してきたが、相手方は正妻との間に依然婚姻関係をつづけ、その間に嫡出子をもうけるに至つた。そこで申立人は、将来子を引取つても独立して生活できるよう技術を身につけるため就職し、約半年間、相手方に子の監護を託したところ、相手方は親族で子のない夫婦に喜芳の養育を委ねたと述べながら、実は婚外関係にある岩崎松子に喜芳を監護させているので、同人の小学入学にさいし、その引渡しを幾度となく強く求めたが、同人がこれに応じないので、親権者母として子の監護に関する処分として喜芳の引渡しを求めるものである。

相手方の答弁の要旨

申立人は、未熟児として生まれた喜芳を僅か六箇月程養育しただけで、同人を相手方に押しつけるようにして引渡し、子の母としていわば子を捨てその責務を放棄したものであるから、子の母とは認められないし、その後数年間、相手方は、岩崎松子と協力して喜芳を監護養育してきたものであるから、どのようなことがあつても喜芳を申立人に引渡すことはできない。

本件は、昭和四五年三月九日調停事件として申立てられ、当裁判所調停委員会において期日を重ね調停をつづけてきたが、同年一二月二一日調停不成立として審判に移行したものである。

よつて審案するに調査の結果によるとつぎの実情が認められる。

(1) 申立人と相手方との関係および相手方が子を引取り申立人が本件を申立てた経緯

申立人と相手方は、昭和三七年春知人宅でのパーテイで知り合い、さらにその頃申立人が手伝つていた洋酒喫茶で親しくなり、同年五月頃婚外関係に入つたが、相手方には妻があり、申立人もこのことに気づきながら、同人の言行から、近い将来には同人が妻と離婚し、同人と正式の結婚をすることができるものと思いその年の一一月一〇日頃○○区○○町○丁目○○番地の文化住宅で同棲をはじめ、翌三八年一二月二四日に事件本人喜芳をもうけ、相手方はその出生届出の日である翌三九年一月六日に喜芳を認知した。

ところで申立人は、同棲後相手方が週に一、二度帰宅しない日があり、また、同人と妻との離婚の話の進まないことに不安と焦燥を感じ、相手方の戸籍をみたところ、相手方と妻モモ子(両名の婚姻届出は申立人との婚外関係の継続中である昭和三七年四月一〇日)との間に定春が同三九年七月二〇日に出生していることを知つて愕然とした。申立人は、相手方が申立人には、妻と離婚する旨を匂わせながら、妻とも夫婦としての生活を継続しその間に子までもうけていたことを知つて、その背信的行為にいたく失望するとともに、自己の将来の生活に大きな不安を感じ、相手方の不誠実を責める気持の激するあまり、今後独立して生活できるよう洋裁の技術を身につける必要があるとして、子の引取方を相手方に強く求め、押しつけるようにして喜芳を同人に託した。

このようにして子を引取ることになつた相手方は、正妻との関係もあつて近親者に子の養育を託することもかなわず、もとの勤務先きでの部下であつた岩崎松子に、事情を話して同年一〇月二六日に喜芳の監護を依頼した。ところで松子は、その頃先夫林田と事実上離別状態にあつたし、子もなかつたので、喜芳の養育を快く引受け、その後同年一一月一〇日○○町で相手方と事実上夫婦のように同居し、二人で喜芳を監護養育することになつた。

申立人と相手方との関係は、相手方に喜芳を託して以後も完全に解消したわけではなく、間けつ的ながら婚外関係もつづいていたし、相手方は、申立人に生活費の一部を補助し、ときに喜芳を連れて帰宅することもあつた。それで申立人としては、相手方の言葉どおり、喜芳はその親類のもとで養育されているものと信じ、その監護にさして不安を感じず、またその養育に格別の関心も示さないで、両三年を経過した。もつともこの間、申立人は相手方に対し、幾度か子の養育状況を確かめ引取りを求めたこともあるが、その都度、相手方から親族のもとで順調に養育されていると告げられたので、相手方との関係が継続していることでもあり、子の引渡しを強くは求めなかつた。

ところで同四五年二月、喜芳の就学通知を受けた申立人は、子を引取りたい気持がつのり、○○町に相手方らを訪ね、はじめはおだやかに小学入学のため喜芳の引渡しを求めたが、そのさい、前日母から告げられたように相手方が松子と同棲していることをはじめて知り、申立人に真実を隠しつづけてきた相手方の行為態度に激昂するあまり、松子に子の引渡しを強く求めた。しかし松子は、申立人が相手方に子を託した経緯について、相手方から、申立人が子を放置し親としての責務を放棄したものと話されそのように理解していたので、何ひとつ親らしいことをしていない申立人に子を渡すことができないとして、強くその要求を拒否したため、両者の間にはげしい言葉のやりとりがあつた。このようなことがあつて、その頃までつづいていた申立人と相手方との関係が完全に切れてしまつたため、喜芳の監護養育について両者の間で話し合うことも全くできなくなつた。そこで申立人は、同年三月九日親権者母として自ら子の監護に当りたいとして、喜芳の引渡しを求めて当家庭裁判所へ幼児引取の調停を申立てた。

(2) 子の監護状況とその推移

相手方は、上記のように子を引取りその監護のため、岩崎松子と同棲してきたが、相手方の婚外関係などがもとで、妻モモ子との離婚話が持ち上り(なお同女とは同四五年八月八日当家裁で調停離婚した)、そのため同四三年夏モモ子との間の嫡出子定春(昭和三九年七月二〇生)を引取つて養育することとなつた。

相手方らが喜芳を引取つたとき、喜芳はまだ満一〇箇月の乳幼児であつた。松子は、子を生んだことがなく育児の経験もなかつたので、近隣の人に聞きながら、市販のミルクで養育をはじめた。喜芳は未熟児として生まれただけに、病弱なところがあり、普通以上に手のかかる子であつたし、松子は相手方から、喜芳について母に捨てられた子と話されていたこともあつて、同人に対する愛憐の情も深く、過保護と思われるほどに身の廻りの世話を良くし、他人の子を預つて養育する気ではなく、自己の子を育てる気持で、喜芳の養育に当つてきた。

喜芳は、未熟児として生まれ、数箇月を病院で過ごし、その後申立人によつて約六箇月養育されてから、上記のように相手方らのもとで監護されてきたが、幼児期におたふくかぜにかかつたほかは、あまり重い病気にもかからず順調に成長してきた。未熟児に生まれたことによるものか、判然とはしないが、知能や運動機能の発達が、同じ年頃の子にくらべて遅れ気味で、幼稚園への入園も懸念されたほどであるが、同四三年四月には、二年保育児として○○幼稚園に入園し、同四五年四月には○○小学校へ入学した。はじめは、弱気で積極性に欠け依頼心が強く、学業の成績も良くなかつた。二年生になつてからは、異母弟定春が一年生に入学したこともあつて、兄としての自覚もようやく芽ばえはじめ、徐々に明るさと積極性をとりもどし、学業成績も僅かながら向上してきている。弟定春とは、同人が相手方のもとに引取られた同四三年夏から生活を共にし、同じ幼稚園と小学校に通い、世間ふつうの兄弟らしく、一つの自転車を取りあつて乗り廻し、またときには兄弟げんかもしながら、相手方および松子の監護を受けて生活しているが、さし当つて監護上精神的心理的にとくに不安定な状態にあるわけではない。

(3) 双方の監護能力家庭環境その他

申立人は、上記のように一時の感情にかられ相手方に子を託したことをいたく反省し、その後も相手方に子の監護状況を確かめたり引渡しを求めてきたが、相手方が応じてくれないので、実母としての愛情から、幼稚園の頃には喜芳の成長を蔭ながら見守り、また小学入学後は喜芳を学校に頻繁に訪ね、同人の監護養育に強い関心を示してきた。

同女は、現在も独身で、その実家から数分の距離にある○○区○○町の文化住宅に居住し、○○百貨店に派遺店員として勤務し月収約五万円年間賞与二〇万円を得ており、近い将来には、勤めをやめ自己技能と経験を生かし、近くに住む叔母佐野糸子とともに洋裁店を営み将来の独立に備える意向である。

喜芳の監護養育については、申立人の母佐野愛子その他近親者の協力・援助も得られるので、経済的にも日常生活の監護のうえでも、同人を引取り養育することに不安はない。なお申立人は、喜芳が、子と日常の生活をともにすることの少ない父親のもとで、実の母でない女によつて養育されるよりも、実母である申立人と毎日の生活をともにし監護を受ける方が、その人間形成に望ましく、その福祉のために必要かつ適切であると考え、さし当つて再婚の気持は全くないと述べ、最善をつくして喜芳の監護に当ることを熱心に希望している。

母愛子は、申立人の境遇に深い理解を寄せ、もし申立人が喜芳を引取り養育することになれば、すでに勤めをやめ時間的にも余裕があり、いささか蓄えもあるので、日常の生活面でもできるだけ監護の世話をし、また経済的にも喜芳の学資等の一部を援助したい意向である。

相手方は、上記のような経緯で申立人から喜芳の引取りを強く求められ、昭和三七年一〇月に同人を引取つてから現在まで七年余り監護養育してきたが、喜芳の今後の監護については、同人が年齢的にみて母の監護よりも父の監護を必要とする年頃であり、定春と兄弟仲も良く同じ学校に通学し、いまの家庭生活に適応していると考えられるので、現在の家庭環境を変えることなく、二児を兄弟として自らの手で監護養育することを強く希望し、自己の学歴を考え、喜芳にはできれば高等教育を受けさせたいと念願し、どのようなことがあつても喜芳を申立人に渡す気持は全くない旨を強調している。

相手方は、現在、弟と共同でプレス加工業を営み、月収約一二万円を得ているほか内職などによる副収入もあり、松子と内縁の夫婦として肩書住所に同居し、二児の監護養育に当つている。しかし松子との婚姻関係がすでに七年余りになり、法律上届出することが可能であるのに、近く届出する旨屡々言明しながら、いまに至るもその届出がなされていない。

なお、同人は、その後喜芳の親権者の指定につき、申立人と協議したが協議がととのわないので、同四五年六月二九日当家裁へ、喜芳の親権者を、多年同人を監護養育してきた相手方に指定する旨の調停を申立てたが、同事件も、同四五年一二月二一日不成立として審判に移行している(当庁昭和四五年(家)第四九五三号)。

さて本件のように、婚姻関係のない申立人と相手方のいずれに、子の今後の監護を託すべきかについては、過去における双方の子に対する監護の態度や監護状況の推移だけでなく、進んで双方の子に対する愛情、監護の意欲・能力、収入等の生活能力、家庭環境などを比較検討し、また子の年齢、精神的安定その他諸般の事情をも考慮し、むしろ将来を展望して、子の福祉を守りその向上を図ることを基本におき、子の健全育成を所期してこれを定めるべきである。

そこでいまこれを、上記認定の実情のほか、本件調停および審判にあらわれた諸般の事情によつて検討し、本件申立理由の有無について判断する。

(1) まず、申立人が喜芳を相手方に引渡した経緯をみると、申立人が、相手方の女性関係に将来の生活不安を感じ、感情に激したあまりとはいえ、満一〇月の、しかも監護に母の手を要する未熟児を、押しつけるようにして相手方に託した行為は、やはり子の母として、申立人が述べるように六箇月後に引取る意思であつたとしても、思慮に欠け軽卒であつたといわなければならない。そして喜芳を託してからも、申立人は、幾度か、喜芳の監護状況を確かめその引渡しを求めはしたが、相手方の親族に預けてある旨の言葉を漫然と信じ相手方に託したまま約三年を経過し、その後喜芳が○○町で養育されていることを知つてからも、相手方との婚外関係の継続を顧慮し、またその言を信じ、強く引渡しを求めなかつた点は、相手方が喜芳の監護状況に関し真実を隠していたことを考慮しても、母子関係が形成される重要な時期にある子の母の態度として、直接監護に当る意欲に欠け、消極的に過ぎるといわざるを得ない。

(2) つぎに、相手方が喜芳を引取つてから、松子と事実上の夫婦として同居し、相手方は父として、松子は実母のようにして、同人を、乳幼児として対人関係を意識し母を識別しはじめる時期から現在まで引きつづき七年余り、養育してきたものである。この養育時期が人間として大切な基本的な人格の形成期にあたり、またこの間、喜芳が、知能や運動機能の発達面で懸念すべき点はあるにしても、まずは順調に成育してきたことを思うと、相手方および松子と喜芳との間に通常の親子らしい関係が形成されていることは否定できないし、両名が喜芳の監護につくした努力はやはり高く評価されなければならない。

(3) さらに双方ともに、それぞれ父または母として、子の監護に自ら当ることを熱心に希望し、子に対する愛情監護の意欲などの点においては、両者の間に格別の差異は認められない。また、双方の収入生活状況からみて、毎月の収入にかなりの差があるにしても、申立人には近親者の有形無形の援助が期待されるので、いずれも子を養育する経済的な生活能力に欠けるところはない。

(4) 進んで双方の家族関係家庭環境のほか近親関係などを検討しよう。

申立人が喜芳を監護する場合、母子家庭となるが、そのさい近くに住む祖母ら近親者の協力援助を受けることができるので、子の監護のための家庭環境としては必ずしも悪くはない。しかしそのような母子家庭的な環境が、喜芳が乳幼児である場合は格別、すでに父の家庭で数年を過ごし小学二年生になつた現在、果してその監護のため必要不可欠であるとは容易に肯認し難いし、また弱気で消極的な性向の喜芳の今後の人格形成に良好な影響を及ぼすとも直ちに予測することができない。

ところで相手方が喜芳を引きつづき監護する場合、従前と同じ家庭環境で生活することになるが、これまでの家庭生活の実情からみると、相手方家庭にあつて、七年余の生活をともにし、通常の親子兄弟としての関係が成形されており、懸念された知能・運動機能も徐々に向上しているのであるから、同人が小学二年生であり異母弟と一緒に生活していることなどを考慮すると、引きつづき父である相手方のもとで、弟とともに監護養育されることが、今後の人格形成のために望ましいと考えられる。なお相手方と松子との婚姻関係が依然として内縁である点は、家庭環境として必ずしも安定的ではなく、懸念されるところである。

このようにみてくると、申立人が喜芳を引取り監護に当ることを熱望する気持は、母の愛情として理解することができるし、相手方の家庭環境に懸念すべき点もあるが、なんといつても、喜芳が相手方家庭にあつて七年余り、相手方と松子の監護を受け、まずは順調に成育し、すでに小学二年生になり、定春とも三年余り兄弟として生活をともにし、精神的心理的にも一応安定した生活を送つており、さし当つて同人の監護上その生活環境の変更を必要とする特別の事情が全く認められないのであるから、同人の福祉とその向上を図るには、現在の監護関係を変更させるよりも、むしろ引きつづき父である相手方のもとで監護を継続させることが、なによりも必要かつ適切である。

してみると、申立人の監護処分としての幼児引取の申立については、理由がないのでこれを却下し、(なおこの却下の点については、本件の幼児引取申立は監護処分の一態様としての処分を求めるものであるから、とくにこれを主文に掲記しない)、喜芳の監護者を相手方と定め、引きつづきその監護を同人に委ねることとする。

なお念のため付記する。相手方の親権者指定の申立については、相手方の家庭環境とくに松子との関係が内縁である事情を考慮すると、なお暫らく、喜芳の監護状況と両名の婚姻生活の推移を見守つたうえ、審判するのが相当であるので、本件と併合審理しない。

よつて主文のとおり審判する。

(西尾太郎)

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